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目を開けると、白い髪で私よりも少し身長が小さな少女が、薄明のテーマパークを背に立っている。
彼女の頭に耳や角の類は見えず、彼女の背に翼や尾はない。
かつてこの世で最も賢く、最も尊いとされた罪の種族。
生まれながらに悪しき種族。
私と同じホモ・サピエンス。
彼女は私の姉だ。
私は姉に話しかける。目を開いてすぐに抱いた疑問を投げかけた。
「……ここはどこだ?」
姉はとても嬉しそうに私の手を握り、目線を合わせて語りかけてくる。
後ろでは花火があがり、姉と同じぐらい楽しそうな音楽が流れている。
「夢の国だよ。ずっと、一緒に遊んでみたかったんだ。」
えへへ、と小さな笑い声をこぼし、姉は私の手を引く。
金銭もチケットも、何も持っていないのに姉はテーマパークの狭い狭い門を通り抜けていく。
「……大丈夫だよ、ここはチケットが無くても入れるからね」
そう言いながら姉は狭い門の奥へと私を連れ出す。
かつて義理の父であるハインリヒが私を連れて行ってくれた港町を模した街。
どの建物の扉も開いていて、中には缶入りの菓子や布製の人形が所狭しと並んでいる。
それを横目に、姉はそのまま帽子やアクセサリーを売っているワゴンへと私を連れていく。
私よりも大きなそのワゴンには様々な種類の商品がぎっしりと詰まっている。
「えへへ、どのカチューシャが似合うかな?」
姉はワゴンから獣耳人の耳のような形のアクセサリーをいくつか取り、私の頭に重ね合わせているであろう動作を繰り返す。
「やっぱり猫?……ワンちゃんもかわいいね、熊さんもいい……うさぎさんも似合うねえ……」
どうやら私に付けるアクセサリーを選んでいるらしく、首を何度も捻ってアレも違うこれも違うと呟く姉。
「何をしているんだ?」
「んー、やっぱり夢の国に来たから……お耳付けたいでしょ?」
その言葉で、いつも角のない頭部を隠すために被っている帽子や、体格を隠す為に着ているコートを着ていないことに気づく。
私の見た目は今、角も耳も尻尾も翼もないサピエンスそのものだ。
「お耳?……私は獣人ではなくサピエンスだから偽装する必要があるのか……?」
誰もが皆、自分の種族や出自に少なからずコンプレックスを抱いて生きている。
「角が小さい」という自分の種族の中での文化や、「小柄故に他種に見下される」と言った他種から見た自分の種族の劣っていると感じる点であったりとそれは多種多様な悩みである。
私の本来の種族はサピエンス。
そしてサピエンスは生まれながらの差別主義者であり、こんなところに来て良いわけがない。
そもそも、私のようなサピエンスが軍部で少佐になること自体がありえないことだ。
だから私は竜人でなければいけない。
そして竜人ならば、強くて健康で、誰かを守れるような誇り高い人でなくてはいけない。
義父ハインリヒや義祖母ウルスラのように。
姉は私を気遣ってくれているのだろう。
サピエンスのままでいなくても、種族を隠さなくてもいいようにしようとしてくれているのだろう。
そんな風に考える私と、全く違った答えを姉は口にした。
「ああ、違うよ!そうじゃなくてね、私はお母さんと一緒に付けて楽しかったから……かな?ダメ?」
楽しかった?種族を偽装することの何が楽しいのだろう。
私には彼女の考えていることがわからない。
だが、彼女が獣耳人の耳を私が付けることを望むなら、私はそれに従おう。
「……私につけてほしいなら、つけるが……」
「うんうん、やっぱり付けた方がいいよ、可愛いから!」
そう言いながら姉は私の頭に白い狼の耳をつけた。
不思議とそれは頭に馴染んだし、姉に「可愛い」と言われるのは悪い気分ではなかった。
そうして私は、姉に手を引かれて海の見える大きな桟橋を渡る。
こっちは風が強いからお咳が心配だけど、いざとなったら任せて、と気遣われて。
私よりも小さな姉は私の手を引いて歩く。
私は竜人として、強くいなくてはいけないのに、姉は私を心配してくれる。
義父や義祖母、主治医のリリウムも私を「身体が弱い」と評する。
痛みを感じず、寒さを感じず、暑さを感じず、すぐに呼吸困難になり、たまに血を吐くこの身体を。
だけど私は竜人でいなくてはいけない。
竜人は強く、優しい存在でいなくてはいけない。そう教えられている。
だけど、どうしてこの姉は私を心配してくれるんだろう。
この先には沢山のアトラクションがあると姉は言う。アトラクションが何かはわからないが。
「あーあ、ユディもいれば楽しいのにね」
姉は心底残念そうに私の友人の名を呟く。
「ユディ?何故だ?」
ユディ。私の親友にして、私の愛犬として軍に所属している少女である。
神経質で警戒心が強く、他の部隊員たちと食事を一緒に取ることも拒否している彼女がこの場所を好むだろうか。
「ユディは優しくていい子だからね。それにユディ、こういうところにあこがれてるからきっと喜ぶと思うなぁ~」
口にしていない私の疑問に答えるように、姉はふわふわと笑う。
そういえば、何故今日ユディはここにいないんだろう。
「あ、見て見て、お魚のシューティングライドだよ!あれ乗りたいな、いいでしょ?」
そんなことを考える間もなく、姉は駆けていく。
白く、裾だけが黒い不思議な色の髪を揺らして。
***
そうして「アトラクション」の列に並び、私たちの番が来る。
するとレールの上を動く小さな舟の形の乗り物に載せられた。
しゅーてぃんぐらいど、というらしいこれは、レール一周のうちどれだけ的に銃を当てられるかを競う物らしい。
訓練の一環なのだろうか。
「違う違う、これはゲームだよ?遊ぶの、これで遊んだらきっと楽しいよ。だって、射撃得意でしょ?」
またしても心を読んだかのように、私の顔を覗き込む姉。青いその目で私を見るその目は好奇心で満たされている。
「ああ、射撃は得意だ」
姉が楽しいと思うのなら、私もきっと楽しい。楽しみだ。
そう思っているとすぐに的が現れる。私と姉は手元にあるレーザー銃でそれを狙う。
「……!?」
私が普段使っている銃に比べてとても小さなそれは狙いを定めるのも難しく、私の得点はあまり増えていない。
50、80……未だにそのくらいの数値だ。
姉は違う。
明らかにどこから新たな的が現れるのかわかっている。まるで見えないものを別の角度から見ているかのように的確に得点を増やしていく。
500、1000。1500、2500。
それは精密なコンピューターのようにも見えたし、ある意味において私の主治医リリウムと似た、どこか人ではない動きにも見えた。
5000、8500、18000。
その海よりも深い双眸には何が見えているのだろう。
結果は姉が25000点、私が6000点。完敗だ。
「それで……負けたら何をしなきゃいけないんだ?」
アトラクションから降り、私は彼女にそう問う。
「……?何もしなくていいんだよ?だって遊びだからね」
「…………本当に、いいのか?」
「ううん、本当に良いよ。だって私が遊びたいだけだもん。一緒に遊べただけで嬉しいから、いいの。」
姉はそれでもニコニコ笑っている。
空よりも青いその瞳でどこを、何を見ているのだろう。
何を考えているのかわからない。
怖い、そう思ってしまった。
「……何もしなくていいのか?」
「どうしたの?不安になっちゃった?……ごめんね、大丈夫だよ。次はどこに行きたい?」
それでも姉は優しくて、少しだけ、少しだけ泣きそうになった。
こんなに優しくしてくれたのは今の家族だけ。昔のことはほとんど覚えていない。
ただ寂しくて、寒くて、一人で、お腹が空いていた。
「じゃあ……一緒にご飯、食べたい」
「ご飯か~……もうちょっと、遊んでからにしよ?ほら、こっちおいで?」
そして駆けだしていく姉。
追いかけようとした瞬間に、いつものように胸が苦しくなって、息ができなくなる。
主治医……リリウムの言葉を思い出す。「ゼンソク」だから気をつけなければならないと。
「ぁ…………待っ……」
そんな私を姉はこちらを遠くから見ている。
どうか置いていかないでほしい。
どうかそばにいてほしい。
彼女に呼びかけたくて、必死に声を絞り出す。
そこで気づいた。
私は姉の名前を知らない。
そもそもこの人は私の姉ではない。
私に姉はいない。
……じゃあ、誰だろう。
いや、誰でもいい。
誰でもいいから、そばにいてほしい。
「……ーーーーー!!!」
声にもなっていない細い呼吸音で、彼女を呼んだ。
「うわ、びっくりした……気がついたのか。」
その場に響いたのは、彼女のものよりわずかに低く、少しだけ不機嫌な聞きなじみのある声。
目を開けると、黒い髪で私よりも少し身長が小さな少女が、天井の明かりを背に立っている。
ユディ。私の親友。
彼女は私の傍に駆け寄ってきて、しゃがんで私に目を合わせてくれた。
「苦しくないか?」
そう問われ、答えようとして派手に噎せると彼女は急いで私に水を差しだしてくれた。
困ったような顔で、それでも慣れた手つきで。
「まぁ混乱しているとは思うが……簡単に言えばお前は訓練中に発作を起こしてそのまま倒れたんだ。
だから3日間絶対安静。ま、もう倒れてから2日経っているけどな」
「……ユ、ディ……」
「無理に話すな、いい。今は何もしなくていい。ゆっくり休むがいい。」
彼女の後ろを見れば、ずっとそばにいて看病してくれていたのか普段散らかりがちな私の部屋はすっきりと片付き、
枕元には吸入薬と酸素マスクが整理されて置かれている。
普段は荒々しいのに、こういったどうでもいいところだけは几帳面。それがユディの性格で、私には理解しがたい部分だと思っている。
だけど今は、そんなこと以上に。
「お腹……すいた……」
2日間何も食べていない胃が悲鳴をあげている。咳や熱以上に、空腹が辛い。泣きたくなるほどに。
呆れたように私の顔を覗き込み、ユディはため息をつく。
「まあ丸2日何も食べてないし当たり前だな……お前が食べられそうなら食事を作る。少しだけ待っていてくれないか。」
離れようとする彼女の背を見て、そこで夢の内容を改めて思い出す。
少女に置いて行かれる夢。
その光景がフラッシュバックしてどうにも寂しくなり、思わず彼女の手を強く握りしめた。
「ユディ……」
「うおっ、なんなんだ急に!」
彼女は困惑したように声を荒げる。
「アイリス……驚かせるな。何か不安になったのか?」
それでも、怒ることはなく私の顔を覗き込んで、「熱がまだあるのか?」と額に手を当ててくれている。
普段から口調は乱暴で、常に不機嫌な様子のユディ。
何故か私には優しいユディ。
そんな彼女の不器用でぎこちないその優しさの中で、私は気づく。
夢の中の「姉」の顔は、今ここにいるユディの顔にそっくりだった、と。
Fin.